横綱

鰐石文蔵

香蝶楼国貞

鰐石文蔵

 富山市出身、徳島藩のお抱えで、後に剣山谷右衛門と改名した。
 初土俵から7年かけて入幕、天保の三傑の中で最も成績が良かったが、体格に恵まれず昇進は遅く、大関になったのは8年後。
 横綱免許の沙汰には、体躯が矮小で土俵入姿が見苦しいと辞退した。ここに、東西の実力第一人者を対で横綱を免許する習は崩れてしまった。
 不知火だけが横綱の免許を受け、以来横綱(一人土俵入)は、一人宛免許して行く習となった。

江戸の横綱
 徳川将軍の上覧相撲に際して、東西の実力第一人者に、化粧廻の上に注連縄を纏ってシコを踏む一人土俵入を、将軍の上覧に供することを思いついたのが横綱のはじまり。
 寛政3年(1791)家斎公上覧の時は、前もって谷風と小野川に横綱が免許され、文政13年(1828)の同じ家斎公の上覧の時も、やはり前もって阿武松と稲妻に横綱が免許された。
 ところが、天保14年(1843)の家慶公の上覧相撲に備えて、不知火と鰐石に横綱を免許しようとしたところ………鰐石は拒絶。

戻る